オタクと英語と私

オタクな私が旅に出て帰ってきて、自由気ままに感想とか投げつけるブログ

松野家の6つ子さんと私

先日、『えいがのおそ松さん』を観てきました。


第1期の頃から大好きだった作品で、ある意味では私の人生を破壊したかもしれない作品でした。

(その前までアニメグッズを買ったり、イベントにせっせと通うなんてことはしなかったので)


映画化かぁ…


と感慨深げに感じながら…


以下ネタバレを含む、そんな私の感想

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

約100分ですかね?

そのうち40分くらいは、初心を思い出すほどの楽しさがありました。

声を押し殺して、肩を震わせて笑い


「やっぱりおそ松さん好きだなぁ」


と改めて感じる、そんな時間でした。


あえて言うなら違和感は序盤からありました…なのである程度の展開においては承知していたのですが…


私が違和感というよりは、少しがガッカリしたところ


・映画なのに6つ子のうち1人にスポットライトが当たっていたこと

もちろん、6つ子それぞれにも役割もありましたが…なんというか、あぁこの子がメインでこの話は進むのか…というのを感じました。

今回の物語のテーマが【過去の後悔】なら、6人それぞれの後悔でよかっあのでは?と思わなくもない


・18歳の6つ子

18歳の時は仲が悪く話もしなかった、という設定で…でも第1期の時点で大人の6つ子は仲いいのですよ。

つまりどこかで思春期を超えて仲良くなったんだろうな…と。

その過程が見たかった…結局どこで仲良くなったのかわからない(笑)

私の理解力のせい???


・高橋さんの存在

私は所謂夢女子でもなければ、腐女子でもないです。

(詳しくいえば作品によってどちらにでも転がるし、過激にその傾向が強いわけではない)


それでもなんとなく彼女の存在は、気になりました。可愛いし、正統派なヒロインなんですけどね…


6つ子のヒロインってトト子ちゃんだよね?

十四松は、十四松の恋で彼女ちゃんいたよね?

チョロ松は、アイドルとしてだろうけどにゃーちゃん好きだよね?


これだけ今までも6つ子を理解してくれる女の子が周りにいたのに、なぜ彼女は必要だったのか?

 


・高橋さんはファンの具現化

この考察が一番有力みたいですが、、、ならばいらなかったです(笑)

これは私の中でのファンと作品の立ち位置の問題だから、万人がそうというわけでないですけど…

 


私は作品の中に自分が入りたいとは思いません。作品を作品として楽しみたい。

私がおそ松さんで好きなのは、

 


・個性的な6つ子が喧嘩しながらも仲良くバカをやっていること

・ちょっと過激な下ネタ

・そんな6つ子と喧嘩したり、文句言いながらも腐れ縁で繋がる仲間たち

 


そんな彼らの世界が好きでした。

 


その世界はそれで完結してるし、完璧なんです!

他のものを必要としないくらい完璧な世界なんです。

 


そう、そこには私たちなど必要ないのです…

 


・リアルすぎる名前

6つ子はもちろん、彼らの世界のキャラクターは個性的な名前です。

 


弱井トト子

イヤミ

チビ太

ハタ坊

デカパン

ダヨーン

 


その中で、高橋さんは同姓同名の人が何百万人もいそうな、ごく普通の名前でした。

 


それが私の中で余計におそ松さんの世界観に不必要なものに感じたのです。

 


・高橋さんのラスト

うーん…おそ松さんの世界に不必要かな。

なんというか、うん…

もう以下省略ですね(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とはいえ、私はまだ1回しか観てません。

噛めば噛むほど味が出る作品なのかもしれません。

2回、3回と観たら、もしかしたら感想も変わるのかもしれませんね。

なので、一概にガッカリしたとは言いづらいのですが…

 


せっかくの映画かコレなのか…という気持ちにはなりました(笑)

 


でもおそ松さんは好きですよ、6つ子が仲良くしているところは、やはり見ててほっこりしますね。